新発田城三階櫓復元に寄せて-不安定地盤を克服- <新潟日報(平成13年6月6日朝刊) 掲載>

2001年06月06日お知らせ

新発田城の優れた築城技術 -不安定地盤に建つ三階櫓-

新発田城は溝口藩六万石の初代藩主溝口秀勝が、慶長3年(1598)入封後、直ちに築城を開始した平城である。その城地選定には新発田を含めて、数ケ所の上杉遺城の中から選ばれたとされている。数年前から新発田城の三階御櫓と辰巳櫓を復元したいという声が、多くの市民から盛り上がって来ている。

この機会に新発田城の城地が、極めて軟弱な地盤上にあるにも拘わらず、400年の長い年月にわたって、城が美しい姿で建っている理由を考察したい。

新発田城周辺は氾濫原堆積物の発達域である。正保元年(1644)の幕命により作られた古絵図によれば、城地の3方向は馬も入れない深田と沼地であったとされている。このような不利な構築条件を超える防御上の有利性があったのであろう。

私は考察の最初に、城を構成する石垣・土塁・門及び櫓等の荷重を正確に算定し、それを支える地盤を地質学的、土質力学的視点から調査・分析することから始めた。

往時、城地内に建っていた7つの構築物のうち、土質力学的に最も不利な条件にあると想定される三階御櫓を選び、それを支える地盤を(1)ボーリング調査、(2)資料による地質状況の想定、(3)構築物等の載荷荷重の算定、(4)地盤の支持力と安定性の検討、(5)地盤の圧密沈下の検討などを厳密に行なうことにより安定・不安定を明らかにした。

7棟の構築物の中で最も重量がある三階御櫓は現存していないが、建築については毀却前の写真や諸資料に基づいて、推定建築図面を作成してその重量を求めた。石垣と埋土・盛土などはボーリング資料と実測等からその重量を求め、上部構築物と下部構築物の重量を加えた三階御櫓の総重量は437.3トンであることが明らかになった。

三階御櫓の荷重を支える地盤の支持力は、その地質から算定して1平方メートル当り4.4トンであるのに対して、荷重は13.5トンであり、許容支持力の約3倍もの荷重がかかっていて、かなりの圧密沈下量があったと想定される。

一方、三階御櫓を支える地盤の安定性は、必要な安定値の0.903であって不十分である。この値は地震等の力がかかると不安定になる恐れのある数値である。

以上のことから地盤は極めて脆弱であることが明らかである。築城当時、十分な対策なしには構築することは困難であったと想定される。埋土もしくは盛土をして圧密沈下による地盤の安定を図り、或いは他の城郭の実例にならい、荷重の大きい櫓等の下部(石垣底部)には胴木や、ハネ木、そして土の安定性を増すための杭等で補強が十分に行なわれたと考えられる。

史料によれば、石垣の積立て開始後、67年を経過した寛文9年(1669)に大地震の災害を受けて石垣が崩壊した。その翌年に石垣の工法を当初の野面積工法から、全国でも数少ない精緻な施工が行なわれていると高く評価されている、切込ハギ・布積工法に改良されたことも、その後の石垣の安定に大きく寄与したと考えられる。