新発田建設の100年は「挑戦」でできている。

代表取締役社長 渡邊 明紀 AKINORI WATANABE
取締役 営業統括部長 齋藤 昌弘 MASAHIRO SAITOH

※役職・内容は2019年10月取材当時のものです。

大正9年、腕のいい若き大工が独立。地元の数多くの建築現場で力を発揮し、ほどなく小学校や高校など大型工事で中心的役割を担うようになった。それが新発田建設の出発点だ。当時としては貴重な4tトラックやブルドーザーをいち早く導入、時代の要請の一歩先をゆく発想と行動力で会社を発展させていった。ここでは、100余年の新発田建設の歴史をたどる。

丸太を制して教会を建築

昭和41年、新発田建設が社を挙げて取り組んだ特別な案件があった。それは、新発田市民だけでなく、建築ファンに今も愛されるカトリック新発田教会。赤レンガの壁の上に丸太を組み上げた独創的な建物は、新発田建設の建築の原点でもある。

「当時、すでに学校や企業の本社ビルなど大型施設の施工は数々手掛けていましたが、これほどデザイン性が高く、また難易度の高い施工は初めてだったと聞いています」と渡邊。設計は、帝国ホテルを手掛けたフランク・ロイド・ライトの一番弟子、アントニン・レーモンド。モダニズム建築の巨匠である。

工事を中心となって担ったのは、当時の社長・渡邊清と専務・渡邊幸二郎。渡邊にとっての伯父と父に当たる。「まず、材料へのこだわりに驚いたと言います」。使用木材は新潟県山北町(現村上市)のもの。設計事務所の担当者が一緒に山に入り、図面を見ながら、『この柱はこの木』と一本一本選んで伐採。レンガは荒川町(現村上市)坂町の業者にオーダーし、寒冷地仕様に高温で焼くようにと指示。

「そして、最も苦労したのは、内部の丸太を組む木組みだったそうです」。複雑な木組み構造は図面を見ただけではわからず、設計事務所に模型を作ってもらった。その模型を解体しては組み直し、検討を続けた。自然の丸太はそれぞれで微妙にサイズが異なり、図面通りに組みあがらない。「ここでもまた、試行錯誤が続き、あきらめかけたこともあったようです。すると、レーモンド氏自身が駆け付けて、成果を認め、努力をほめてくれたのだそうです。しぼみかけていた士気が揚がって、完成にこぎ着けられたと、父から聞きました」。

この建築では、構造や工法だけでなく、材料との向き合い方も学び、また、挑み続ければ困難なことも成し遂げられるという経験も得て、新発田建設は企業として成長したのだった。

厳しい時代を成長の糧に

新潟地震、加治川水害、羽越水害。昭和40年代の新潟は、重なる災害からの復興で土木工事の需要が高まっていた。新発田建設でも建築と土木の2分野で仕事量が増えたが、その量はキャパシティを超え、経営は危機的な状態に陥っていた。

経営体制の刷新が急務と、技術者であった社長は、新発田建設の未来を新進気鋭の経営者である川崎商会・店主の川崎俊平に託した。同じ新発田市で事業を展開するふたりは、もとより信頼関係で結ばれており、川崎も依頼を快諾。「経営を立て直し、より良い会社にしましょうと言ってくださった、その気持ちに社員は感銘を受け、厳しい時代を乗り切ったのです」。社内ではシステムの整備や効率化、信頼構築や技術力養成をかなえるための人材育成に取り組み、企業としての体力向上に努めた。

6年後の昭和49年7月、渡邊清が再び社長に就任。その後すぐにコンピューターを導入し、財務管理や原価管理を合理的かつ一元的に行うシステムを完成させ、新発田建設の新体制を構築した。「確かに厳しい時代でしたが、川崎さんを始め支えてくださる方々がいて、技術力を信頼してくださる取引先があり、そこに応えようと努力する社員たちに恵まれ、新発田建設は新しいスタートを切ることができました。そういう意味では大きなターニングポイントだったと思います」。

その後は、土木部門の強化に乗り出した。大手ゼネコンの下請けを務めたことがきっかけとなり、最新技術の習得、大規模工事の経験を積み、首都圏に拠点も築いた。下水道工事のシールド工法など、首都圏での経験を新潟に適用し、受注案件を伸ばしていった。「この流れは今も継承しています。建築と土木が両輪となるようにし、強固な企業体質を築いていくことが目標です」。

誤差は決して許さない

新発田建設の建築部門では、今も教会建築を多く手掛けている。教会建築には特別の工法やノウハウが必要なのだろうか。

「教会建築に固有の技術はありませんよ」と、多くの工事に関わってきた齋藤昌弘は笑う。「確かに教会は宗教の場ですので、普遍的でクラシカルなデザインが中心になりますが、違いがあるとすれば、多くの信者が集う場所なので、信仰心に寄り添った機能性がデザインと融合するよう心掛けることです。そして、祈りの場として、世代超えて100年建ち続けることという条件をかなえることでしょうか」。

そこで最も必要なのは、細部までゆるがせにしない施工だ。前会長・渡邊幸二郎は、決して誤差を見逃さず、許さず、完璧なものができるまで何度でもやり直させました。補修ではなく、不良な工事の最初からのやり直し。「『作り直しだ!!』という厳しい声は今でも忘れられませんよ」。

顧客と徹底的にディスカッションを行い、信頼に応え、期待以上の仕上がりをかなえる。その姿勢は口コミで広がり、教会だけでなく系列の幼稚園や学校、福祉施設などの工事依頼が新潟県の内外から寄せられる。「当社では、お客様が新たにお客様を紹介してくださるとか、ひとつの案件が次の仕事につながるというケースが多いです。技術を信頼していただけるからではないでしょうか」。

技術に主軸を置く企業として、技術やノウハウを伝えるのはもちろん、社としての利益を最優先に考えるのではなく、お客様にとって最適なものを考える。「そういう姿勢をしっかりと次の世代に伝えていきたい」という齋藤。新発田建設に任せるといい仕事をするんだよ、という声をこれからも聞けるように。「それが我々の役割だと思っています」。

次世代へのリレーが始まっている。